2002/05

八ヶ岳

赤岳・横岳・硫黄岳

初夏のような陽気が続き、記録的な暖かさとなった今年の春。

夏山も一気に近づいたのではと思わせるような春だったのですが、
なぜか仕事が忙しくなってしまい、山どころではなかった4月5月。
梅雨の中休みのように、ここのところ少し忙しさが緩和された感じとなり、
また梅雨のような雨続きの空模様も一段落して、
いつもの晴天の日々が戻ってきたということもあり、
ここぞとばかりにGWの出勤の代償を活用し、山へと出かけることになりました。

しかし確固たる意思の元に計画した山行ではなかった為、
当日大変な思いをする羽目になるのでした。
平日休を金曜にするか月曜にするか直前まで迷ったあげくに土曜の晴天予想が決め手となり、
それなら山頂で晴天を迎える為にと、金曜土曜のパターンに決めたのでした。

また前日の木曜に赤岳頂上小屋に雪の状況を問い合わせると、
殆ど雪は無く問題は無いとの返事で、涸沢とどっちにするか決めかねていたのですが、
雪が無いということで、行き先も即八ヶ岳に決まりました。

しかし当然の事ながら用意もしてなく、また山に行くという心構えも出来てなかった為、
場当たり的に登山に突入することとなり、初日に大変な思いをすることになったのです。

05/23 (木)  千葉 → 中央道 → 諏訪南
05/24 (金)  諏訪南 → 美濃戸口 → 南沢 → 行者小屋 → 赤岳頂上小屋泊
05/25 (土)  赤岳 → 横岳 → 硫黄岳 → 赤岳鉱泉 → 美濃戸口 → 千葉

05月 23日 (木)     天気は忘れた

前日いつもと同じように退社してから登山の用意をし、
風呂に入った後スタートしたのは既に23時頃となっていました。
この時点で単純に4時間と考えても、寝ることができるのは午前3時頃・・・
ちょっときついかなと思いつつも、さすが休前日以外の夜、
首都高速も中央道もガンガンに流れて高速走行だったのですが・・・・・・・・・

な〜んと、トラックや乗用車合わせて4台の事故とかで、
大月−勝沼間が通行止めになっていたのです。
( なんだとおおお、早く着いて寝らなあかんのにふざけるな−!! )

再び高速に乗って突っ走り、諏訪南ICから真っ暗な一般道を突っ走り、
美濃戸口から路面状況の良くない林道を気使って走り、
やっと駐車場に車をとめることが出来たのは、やはり午前3時前でした。

05月 24日 (金)     晴れ

さっさと寝ようと思ってもそこはさすが車、寝心地が悪く、
あっという間に明るくなっていて時計を見ると4:50・・・
それからしばらくウダウダしましたが、駐車場のおばちゃんに
金払って準備した後、結局歩き始めたのは7:50頃でした。

初日のコースは美濃戸から南沢コースを通って行者小屋、
そこから阿弥陀岳をまわって赤岳の頂上で泊まるというものでした。
行者小屋まではコースタイム2時間で殆ど人の姿もない静かな山歩きだったのですが、
予想外のトラブルはすぐにやってきました。
歩き始めて30分程で、異常な疲れが襲ってきて既にバテ始めてしまったのです。


          南沢ルートは、樹林の中が多い

沢沿いのコースはまだ標高差も少なく、
しかもその日スタートしたばかりだというのになんということなんでしょうね−!!
何故だか足が上がって行かず、また悪い時には悪い事が重なるもので、
なんと予想外に腹痛まで発生してきたのでした。

前夜高速の途中で2時頃カレーを食べたのが良くなかったのかもしれません。
( 消化不良かな・・・? )
また、まともな登山レベルの山歩きが半年近くもブランクとして空いていたことや、
山に出かけるという心構えが出来てなかったこと、
一人でずっと運転してきて疲れていたうえに、
殆ど寝てないという悪条件が見事に重なってしまったのが原因のようです。

心の中に暗雲が沸き始めながらも歩き続けること約30分、
またしても疲れてしまい、今度はザックを降ろして少し長めに座り込んでしまいました。
行者小屋に着いたらトイレかな、赤岳行けなかったら行者小屋に泊まりかな、
などと良からぬことが、頭をグルグルと駆け巡っていきました。
とても写真どころではありません。

沢沿いのルートは樹林の中が多く、景色の変化も少ない感じだったので、
まああまり写真が撮れなくても、よかったのですけどねえ・・・・・

そのうち右前方にやたら高い山が姿を現してきます。
あれはきっと阿弥陀岳だろうな・・・ ぎぇ−高−い!
赤岳はもっと高いし・・・ほんとにそんな所まで行けるのかなあ?
またしても不安が頭を駆け巡ります。

そうこうしているうちに、ようやく行者小屋にたどり着きました。

行者小屋前から望む赤岳

平日の10時過ぎだったので誰も客はいなく、
小屋の人達が機械でなにやら
小屋のメンテナンスをしているだけで、
ベンチとテーブルは貸切状態でした。

問答無用でベンチに寝そべり、30分程うとうととしてしまいましたが、
さすがに11時になろうとしていたので、だるい体を動かして出発しました。

阿弥陀岳と赤岳への分岐までは10分程しかないのですが、5分程でまたしても疲れが・・・
そして分岐の道標の前でしばらく考えた結果、今日の調子からして阿弥陀岳は無理、
またいつか来ることがあるだろうという結論にして、文三郎道に入りました。

樹林の間に少し雪も残っている傾斜の緩い道をしばらく登るとすぐに展望が開け、
階段や鎖が整備された稜線までの道のりがはっきり見えました。
しかしここから稜線までの、たった1時間程の登りが今回の苦痛のハイライトでした。

整備された階段を登り始めるのですが、とにかく体が上がって行きません。
たいして息が切れているわけでもないのですが、
とにかく苦しくてしばらく登っては休み、また少し登っては休みといった感じでした。
時間にして10分から15分おきに立ち止まって休憩をとる始末で、
そのうち地面に仰向けになってひっくり返ってしまうこともありました。

空を見上げると青い空に白い雲が流れ、目の前には見送ってしまった阿弥陀岳が
綺麗に聳えて、何とも勿体無いなあという気分になってしまいます。
下を見るとそこそこの傾斜なので、行者小屋がどんどん下の方に小さくなって
いくのが救いなのですが、逆に上を見ると赤岳は随分高い所にあるように見え、
ほんとにあそこまでたどり着くんだろうかという気分にさせられます。

とりあえず稜線の合流地点までだと思い、
そちらに目を向けるのですが、
いつもならたいした距離でもなく
傾斜も普通に思えるはずなのに、
とても遠くにあるように思えて、こんなに辛く感じる
登山はどこがあったかなあと考えてしまいます・・・

シャリバテでの甲斐駒ケ岳、高山病での北岳、などなど
そんなことばかりが頭に浮かびながらもやっとの思いで稜線にたどり着くと、
さっさと荷物を降ろし、また地面に寝転んでしまいました。

チョコレートを少しかじりながらしばらく寝転がっていましたが、
誰もここを通る人はいませんでした。

上空は相変わらずの青空に陽射しが眩しかったのですが、
寝転んでいるくせに思わず頭をザックの影に隠したりする程の凄い風が、
行者小屋側の谷から吹き上げていました。

結局文三郎道は、1時間のタイムの所を1時間半もかかっていたのです。

しばらくした後、今日最後の道のりとなるラスト約40分の登りに足を踏み出しました。

ちょっとザレた感じの緩斜面をテクテクとしばらく登ると、
そのうちだんだん岩場のコースになっていき、
やれやれと思いながら進んで行くと
目の前にバリバリの、壁のような岩場が現れて
思わず、え−っこれ登るの−! と
頭の中で叫んでしまいました。

頂上直下の急勾配の岩場

しかし疲れてない普通の状態ならきっと楽しい岩登りだろうなあということはすぐに感じました。
鎖もしっかりついているし、手がかり足がかりもたくさんあって
難易度的には全然問題のない状況だったからです。
やはり疲労がたまっていて、いかに体がへたばっていたかということの証明でした。

背後の権現岳や南アルプスをちらちら眺めながら登っていくと、
ついに東側の県界尾根や真教寺尾根、奥秩父の山並みが視界の中に飛び込んできて、
やっとここまで来たなあと感じされられました。

ここまで来れば山頂はすぐ近くのはずだからもう少しじゃあ−とちょっとだけワクワクしながら
最後の岩場を登っていくと、突然目の前に頂上小屋がその姿を現したのです。

いや−、やっと着いたよ着いたよ着いたよ−!!  もうそれだけでした。
 


    待望の赤岳山頂        権現岳の奥に南アルプス

いつもなら晴天の状況で山頂に着けばさっさと写真を撮ることに
頭が集中するはずなのに、兎に角今日無事に着いた、終わった、
もう苦しまないで済むのだ−と、そのことだけが頭を独占していて、
いかに今日の山歩きが辛いものになっていたかを物語っていました。

着いてすぐに小屋の方から一人お姉さんがやって来ましたが、その後は山頂に誰も
来ることはなく、自分が写真を撮ったりする間ずっと独占状態でした。
周囲を見渡すと西側は比較的見通しが良く、蓼科山、諏訪湖、中央アルプス、
南アルプス等はまあまあ見えていましたが、東側はガスが沸いたり消えたりを
繰り返していて、富士山は全く見えず奥秩父の山々も時折少し見える程度でした。

小屋の方に歩いて行くと、小屋の前は寝ているおじさんとお茶を飲んでいる
奥さんがいるだけの静かなもので、またその後もたまに登山者が訪れる程度の、
平日の静けさを十分に満喫できる午後の山頂だったのです。

小屋に入って受け付けをすると、今日は予約者は7人程度しかなく、
空いているでしょうということでしたが、事実200名収容の小屋に
8人ぐらいしか客はいなくて、非常にゆったりとした静かな宿泊となり、
ほんとに空いている小屋は快適だなあとつくづく感じさせられるのでした。


   北八ヶ岳へと続く稜線     手前:行者小屋  奥:赤岳鉱泉

夕食まではかなり時間がありましたが、室内でも結構冷えるので
ずっと近くの火の入ったストーブにくっついていました。

ここの小屋の食堂は北側と東側がガラス張りになっていて、食事の時に外の
景色が見えるようになっているのですが、内外の気温差のせいで雲ってしまい、
あまりよく見えなかったのがちょっと勿体なかったです。

食事が終わって日の入りの20分程前ぐらいに外に出てみると東側のガスも消えて、
多少霞んではいるものの、奥秩父方面の山々も見えるようになっていました。


  夕日に染まる赤岳山頂           陽の入り

日の入りは19時前頃で、槍穂高連峰がちょうどオレンジ色の空の中に
シルエットを作り出していてなかなか綺麗だったのですが、
槍の穂先がちょうど雲に隠れていたのが惜しかったです。

部屋に戻って布団の支度をしていると傍のおばちゃんが、
外の気温計は0度でしたよと言ってましたが、
こういうのを聞くと、都心では夏日だといっても
やっぱりこういう所は寒いよなあとしみじみと感じます。
8月の白馬岳で冷たい雨に打たれて手がかじかんで字が書けず、
ガスストーブに当たった記憶を思い出しました。

布団の傍には、冷えるので自由に使ってくださいとシュラフが並んで置いてありましたが、
これだけの空き具合なので当然隣の毛布を自由に使わせていただきました。
今日はこれだけ疲れていたのだからいつもよりはよく眠るだろうと思っていたのですが、
やはりいつもどおり2時間おきぐらいにゴソゴソと起きてしまっていたようです。

05月 25日 (土)     晴れ

翌朝の日の出は4時40分頃で、いつもなら20〜30分ぐらい前から用意して
外で夜明け前の写真を撮るのですが、何故か頭がちょっとガンガンすることもあって
布団の中でウダウダしていたら、いつの間にか山頂の東斜面が朝日に
照らされて強いオレンジ色に染まっているのが窓から見えました。
( あまりに疲れていたので、普段は発生しない高山病が軽くでたのでしょうかね? )


     朝日が眩しい              富士山

外は風がかなり強く、外の扉が勝手に開いたりするぐらいでした。
支度をして外に出ましたがもう太陽が完全に昇った後で、
普通の朝の風景になっていてちょっと惜しいことをしたかなと思いました。

この日の朝は素晴らしい快晴の青空で、360度全ての方向の山々が姿を現していたのです。
北アルプス、中央アルプス、南アルプス、昨日全く見えなかった富士山、
奥秩父連山、日光や浅間山方面、妙高火打方面などなど、
どの山も雲に隠れることなく朝日を浴びて輝いていました。


   杣添尾根、県界尾根       権現岳の奥に南アルプス

朝食を摂った後、ゆっくり支度をしてから7時頃、山頂を後に稜線を北へ向かいました。
しばらく急勾配を下って行くと赤岳展望荘の所を通ります。
ここの看板には温水シャワー有りと書いてありました。

ここを通過してしばらくすると、
いよいよ本日のメインの横岳付近の険しい岩場鎖場のコースが始まります。
技術的には殆ど難しいことはなく、よほどの悪天候でもない限り
楽しいスリリングな岩歩きが出来るといった感じで、
今日はいつものように三脚片手にずっとこの付近も歩きました。

振り返ると快晴の青空の中に一際強く赤岳が聳え立っていて、なかなか凛々しい姿に見えます。


   横岳付近の岩場鎖場     赤岳展望荘 と 赤岳頂上山荘

今朝は体調もだいぶ回復したようで、小屋でいっしょだったおじちゃんおばちゃんたちと
抜きつ抜かれつしながら、いつものように写真撮影に専念出来ました。

空を見上げるとまだ8時台だというのにかなり高い位置に太陽が昇っていて、
さすがに夏至の1ヶ月前だなあと感じます。
西側はすっぱりと切れたような斜面でなかなか迫力もあったのですが、
今の時間帯ではちょうど影になってしまい、あまり上手く写真には撮れませんでした。

横岳付近まで来るとちょうど赤岳、中岳、阿弥陀岳が
良い大きさで画面の中に納まり、いい感じで写真に撮れます。


   赤岳、中岳、阿弥陀岳      横岳付近はデコボコ歩き


  手前に大同心と小同心      最後の難所、カニの横ばい

またカニの横ばいを過ぎたあたりからは大同心が真近に見えて迫力があります。
この辺からは穏やかの斜面のザレ場に変わり、ゆっくり硫黄岳山荘の方へ
下って行くのですが、兎に角風が強くて横へ倒れそうになるぐらいの凄い風でした。

八ヶ岳は風が強いというのを聞いたことがありますが、ほんとにその通りだなという実感でした。

山荘近くのコマクサは
さすがにまだ咲いていませんね。

横岳付近ですれ違った人がツクモグサ
( だったかな? )が咲いてましたよと言ってましたが、
私にはよくわかりませんでした。

あまり調子が良くないと思っていた私でしたが、嬉しいことに予想に
反して空腹感を覚え、山荘の傍でおにぎりを食べることができました。

この辺の東側斜面は穏やかなんですねえ。

そしてゆっくりとケルンの並ぶ最後の斜面を硫黄岳目指して登って行きました。
山頂は広々とした所で、北側の夏沢峠や天狗岳、蓼科山などが綺麗に見えました。


     硫黄岳の山頂      双耳峰の天狗岳、左奥は蓼科山

すぐ隣の爆裂火口は近くで下を覗くと
なかなか迫力があって良かったです。

硫黄岳北面の爆裂火口

そして今回のメインのルートを無事に写真に収めることが出来て一安心し、
時間も11時頃になってきたので赤岳鉱泉へと下り始めました。

途中で何人かすれ違うおじさんと話をしましたが、関西からという人が多かったです。
そういえば昨日泊まった頂上山荘でも、単独のおじさんがやはり大阪からの人で、
関西からだと八ヶ岳は来やすいのだと言ってました。

またテント装備を担いだおじさんがゆっくり登っていて、
今日は赤岳山頂まで行くんだと言ってましたが、
それならもう少し早い時間に登ればいいのではとちょっと心配したりもしました。


   樹林帯の中の残雪        赤岳鉱泉横のテント場

そのうち沢を越えて、赤岳鉱泉まだかな−とちらほら思っているうちに、突然目の前に
小屋が現れ、行者小屋と同じように小屋の人たちが木材を加工して工事をしてました。

行者小屋の時と違っていたのは、こちらは学生らしい団体が結構たくさんいて、
あちこちにテントを張っていて、中にはサザンの音楽をガンガン鳴らしている奴らもいました。

静かな山の雰囲気を楽しむことよりもそれ以外にその手のことを楽しみたいのなら、
下界のオートキャンプ場の方が適しているんじゃないかな−とか、
別にサザンが嫌いというわけではないのですが、こんな山の懐まで来て
下界の生活を思い出すような音楽はどうなんだろうね−と、一人で考えてしまいました。

赤岳鉱泉を後にして北沢に沿って下りましたが、
こちらは南沢ルートに比べて休憩場所も多いし、
沢に沿って爽やかだし、
利用者が多いのは何となく理解出来ました。

北沢から振り返ると、稜線に横岳が映えていました。

今回はちょっと疲れていたからかもしれませんが、
途中からの林道がえらく長いような気がして、ちょっとどうかなという印象もありました。

そして車を置いていた美濃戸に着く頃には周囲の林は爽やかな新緑となっていて、
また八ヶ岳の象徴的な苔むした風景も広がっていました。

帰りは地図で近所に温泉が記載されていたので行ってみると、
もみの湯とかいう何となく贅沢そうな町営の温泉施設でした。

露天風呂もあり、広い休憩室もあってなかなか綺麗な施設で良かったのですが、
入っていたのが爺さんばっかで、いかにも地元の人の為に
地方交付税で作った箱物という感じがしてちょっと複雑な心境でした。

中央道はたいした渋滞も無く、夕方明るいうちに無事に家に帰り着きましたが、
本当に久しぶりに歩いたせいか
翌日には早速、脚のあちらこちらがガチガチに固まっていました。

とはいうものの、初日は大変な思いもしましたが素晴らしい晴天に恵まれて、
2ヶ月振りに外に遊びに出かけることが出来て、とてもいい山歩きになったという感じがします。

初日、当分山はもういいとあれだけ思っていたにも関わらず、
翌日にはそれが嘘のようにルンルンと歩いていたのが何かおかしいような気もしますが、
ここが登山の不思議な魅力なのでしょう。

次回、南八ヶ岳に来る時は是非元気な状態で歩けば、
きっと今回とは全然違った印象を持つだろうと思います。

inserted by FC2 system